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「定」について

☆★「定」について☆★

皆様こんにちは、ようこそ仙台正心館においでいただきました。
本日は10月度二度目の七の日でございます。この尊い日を、仙台正心館に仏弟子相集うことができましたことを、主に心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。

今月は、仏教の根本ということで三学につきましてご一緒に学ばせて頂いておりますけれども、今回は、戒、定、慧の定の部分をご一緒に学ばせて頂きます。

定と申しますと、禅定という言葉がございます。
これは二つ、禅と定で成り立っておりますけれども、二つとも意味が違うとお教えいただいております。
この禅の部分はよく禅宗などとも言いますが、この禅の部分はディヤーナとも申しまして、一般にヨガの事を示しております。
定の部分はサマディとも申しまして、三昧という言い方をするものでございます。
このヨガというのは何かというと、精神と肉体のバランスを取っていく作法の事をヨガといいます。
もう一つの定ということに関しまして、定とは何をいうかというと、心を穏やかにしてまいりまして、心の平安な状態、平静な状態を作っていきましょうということを定と言っているということでございます。
さらに、心をずっと平静にいたしまして、ある一つの対象にずっと念いを集中していって、物事の本質を見ていきましょうということを定とも言っております。
ですから、禅定というものは、二つの違う意味を持っております。
二つ合わせて禅定と言っております。

そして今回、定の部分なんですけれども、さらに止観という意味もございます。
止観というのは止めるという、止めて観るという意味で、止観瞑想とも言いますね。
この止観瞑想というのは、まず心のざわめきを止めなければいけない。
ざわざわしているので、止める。
心のざわめきが止まっていきますと、一つ抜けていくといいますか、この世的なざわめきが抜けていきますから、非日常的とも言いますけれども、この世の喧騒から抜け出していく。
ざわざわざわざわしているところから抜け出していくということが、第一段階でございますね。

止めた後、次どうするかといいますと、観るんです。
止めると、なんとなくこんな感じですよ。
自分の殻からぽんと抜け出して、そして、今、自分の問題になっている箇所を、上から眺めるという感じです。
そうすると、なんで自分が止まっているのかということが見えてきます。

これを別の言い方をしますと、車で道を走っていると、道に迷った様な状態になる時がありますね。
そんな時に、ナビゲーターというものが付いているじゃないですか。
そのスイッチを入れると、今どの道が混んでいるのか、どこを間違えたのかを教えてくれますね。
でも、ナビゲーターはよく見ると、人工衛星なんですね。
この人工衛星から地上を見て、今ここを走っていますよと教えてくれますね。
こういう感じが止観の観に似ているものでございます。

これを見ますと、どこかで聞いたようなお話で、私共が反省をするときに、守護霊の立場で反省してごらんなさいというのがありますね。
たとえば、私共が車を運転しておりまして、車で交通渋滞にはまりますと、運転席から逃れられませんので、前後しか見えませんね。
どこまでこの渋滞がつながっているのかよくわかりませんけれども、上の方から見ますと、ナビゲーターの上から見ると、渋滞5kmですとか、10kmですとか、どの辺まで渋滞していますとかわかりますね。
この立場の方を守護霊といいますので、守護霊様の立場で物事を見てみるということになりますから、これはやはり反省に繋がる考え方になります。
ですから、反省するときには、反省的瞑想とも言いますが、心を鎮めて、それから反省に入っていきませんかということです。そして、守護霊の立場で見てみるというのがあります。

ですから、守護霊の立場で見ようとするときに、止観といいますか、静かに心を止めて、守護霊様のお立場からしたらどのように見えるかということを考えますので、その問題がよく観えるということになります。
こういった流れが非常に大事です。

さらに具体的に言いますと、戒・定・慧は、前回申しましたように貪・瞋・癡に対応していると言われていますね。
その中の瞋、カッとくる念い。これを止めるのは、定なんだということがわかりますね。

これを今言ったことにあてはめてみますと、瞋が起きますよね?
腹が立つという状態が起きたときに、まず止めてみようと思うことなんですね。
普通止まらないんですよ。どこまでも怒ってくるものなんですけれども、これを止めてみようとすることで、その時に呼吸法を使いませんか?
数息観とも言いますけれども、呼吸をしながら数を数えていくことです。
少しゆっくりと呼吸をしていきます。呼吸をしていきますと、だんだんと感情が収まってきますね。
感情が収まってきますと、次に順番はどちらでも構いませんが、正心法語を上げていきますね。
正心法語をずっとあげて何度も上げていきますと、ますます心の波長が正心法語の波長にあってきますから、心が止まってきます。
そうしますと、心が落ち着いてくると次に何をするかといいますと、ここで心を止めましたから、次に観るわけです。
なんで怒っているのかなと。なんで腹が立ったのかと観ていけばいいわけですね。原因見つけていきませんかと。
そうすると何か見当たることが出てくるのです。
意外と霊的な問題ではなく、この世的な問題で困っている場合がありますね。
たとえば時間がなくて焦っているとか、お金がなくて焦っているとか、あるいは体の調子が悪いから短気になっていたとかですね、この世的な問題が見つかったら、その問題をまず解決しませんかということですね。

さらにその奥まで行きますと、カルマの問題でありますとか、トラウマ、心が傷ついているような問題があったり、過去に起きたような問題まで出てくると、その原因を見つけていくということがございます。
いずれにしても、原因・結果の連鎖で起きておりますから、この縁起をたどっていくことによって、その本質を観ていくということがございます。
この観ていくというときに、必ず、心を鎮めていかないと、観えませんよということです。これが定という考え方です。
ですから、この定というのは、一見消極的な考え方のようにも見えますが、とんでもないです。
そのあとがありまして、原因が何となく見つかったとしますでしょ?見つかっただけでは仕方ないです。
原因が見つかった場合、その原因を消すなり、変えるなりしていかないといけないわけです。
そうすると、どうしようもないというものが、中にはあるんです。どうしようもなくて、あきらめるしかないということになった場合、次が出てくるのです。
それは何かというと、定に入った時に守護霊様と同通するわけですよね。
守護霊様と同通してきたときに、空の上から眺めたときに、ここがY路になって行き止まりだと言っているけれども、抜け道があるんですよということになってくるんですね。
この抜け道を探していくという事が、別の言い方をしますと、不可能を可能にしていくという考え方になります。
これを創造性といいます。ないものを創る事でしょ。創造性。橋がかかってないなら橋を創ればいいということで、何か新しいものを創っていくということになります。
念いをずっと集中していって、今これがなくて困っているならこれを作ったり、今病気だから病気を治さないといけないとか、お金がなくて困っているならお金を豊かにしなければいけないとかですね。これは創造性になりますね。
あるいは伝道できなくて困っているけど、伝道したいとかですね。これも創造性になります。
あるいは、新しいアイディアを出して回転していくというのも創造性になります。
心をずっと鎮めていくと、これは創造性につながっていくんだということです。

ですから、この定というのは、単純に平静な心を持てばいいだけではなく、もっと積極的な力がその奥にありまして、そのパワーを引き出していくために定があるという考え方でございます。
ですから、この三学の定というものは、平静な心を持っていること自身が幸福であるということを、お教えをいただいております。
いつもざわざわしている人はそれほど幸福ではない。
しかし

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